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SINCE1981 世界初のヒップホップ・ダンススクール

ファンキージャム・ストーリーfunkyjam story

第6話

○○○○○○○○イメージ

ファンキージャム・ブレーカーズの結成

1983年に映画「ワイルドスタイル」の来日イベントや映画の公開が始まり、全国的にブレイクダンスが知られる事となり、急速にテレビやイベントの話が増えてきました。

ブレイキングの型ができる生徒も多くなりショーができるかなと思った頃、ファンキージャムブレーカーズを結成する事にしました。

ブレイキングの練習も始め、ある程度のノウハウができましたが、ダンサー不足だったので、即戦力を募集しようとオーディションをしました。
でも残念な結果でした。ほとんどの人がロックダンスだったからです。

ブレイキングの可能性が高い七類(トニーT)、一人のみの加入で終わりましたが、ロックダンスはしないことを条件で参加してもらいました。
その後の練習で多くの型ができるようになり重要なメンバーになりました。
年長でしたからメンバーの信頼もありました。
彼はソウルダンスをほとんど知らない世代です。
私とは志向も違うのでインストラクターにはしませんでした。

ロックダンスは派手で一般受けするのですが、ロックダンスをショーでやるとブラックアメリカンの人達にセンスを問われるので、ファンキージャムでは禁止していました。

それでメンバー1名が辞めました。
七類に関することでネットの書き込みがありますが、ファンキージャムの生徒ではありません。

その後、私とタカシ、七類、生徒数名でブレイキングのノウハウを研究をしました。
おかげで多くのブレイキングができるようになり感謝しています。
ダンスの嗜好が違いますので、ファンキージャムブレーカーズ解散後は七類と付き会いはありません。

その後の渡米の事はわかりませんが、一度も会う事がなく逝ってしまった事を残念に思います。


○○○○○○○○イメージダンススクールの目的はアメリカンブラックのダンスです。
ブレイキングが主流になったブレイクダンスは少し違うのかも知れませんが、ニューヨークで多く踊られているダンスを教えていましたので関連あるものと思っています。

ポップロックの方が乗りの良いダンスなのですが、ポップが強すぎると誰もが同じに見える欠点もありますので、バリエーションの多いニューヨークの子供達が目指していたエレクトリック・ブギにしました。

強いポッピングではなくティクや個性のある自由な動きを求めてました。
ダンスは同じ型ばかりやっては面白くないのです。
ショーの振りもメンバーで考えるように自由にさせていましたが、何でも少し先を行くタカシの影響が強かったようです。

レッスン以外は進行しか口を出さないようにしました。
ダンスは同じでも個性は生かしていたようです。
それがヒップホップだからです。




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