本文へスキップ

SINCE1981 世界初のヒップホップ・ダンススクール

HipHopSERVICE&PRODUCTS

ヒップホップとは

○○○○○○○○イメージ

ヒップホップの今

踊れない人がヒップホップ・ダンスを理解することは難しい。
なぜなら上手さを知るには、ある程度のダンスレベルが必要だからだ。
何となく上手いのだろうと思うくらいでは駄目なのだ。

おそらく学校教育にしようなどと思った人は、ダンスを踊ったことのない人達だろう。
なぜならヒップホップ・ダンスを教えられる人は稀だからだ。

今のヒップホップは多くのスタイルに別れてしまっていて、何でもできる人はいないからだ。
たとえばエレクトリックブギ系を踊る人の中には
個性を出すために身体の柔軟性を生かそうとする。

少し前からアメリカでは関節をはずすなどエスカレートしている。
ヒップホップであればありえる事で、誰でも簡単にできるのではいけないからだ。
もうダンスとは言えなくなっている。
そこまでやるとヒップホップ・パフォーマンスなのだ。

なぜかロックスタディが新鮮に思える。


○○○○○○○○イメージ

遅く流行、終わりは早い。

アメリカンブラックのダンスは日本でも一部の人達で踊られてきました。

多くは米軍基地とその周辺が多いのですが、ダンスを踊れる人も少ないし、音楽や相手など条件がそろわないと踊らないので見る事も困難なのです。

ダンスを知る近道は彼らと踊る事。
それには自分を踊り相手にしてもらわないといけない。
しかし日本人の男性はダンスが上手くなりたくても相手がいない。
それに少数の女性を大勢が誘おうとするから、ダンスを踊りたいだけなのだがトラブルが起きるのです。

そんな時代を経て1980年中頃、ブレイクダンスなのかハウスの影響なのか変わり始める。
昔は一人や男同士で踊ると変態と見られていたが、急に状況が変わってくる。
それがダンスの型にも影響してニュージャックのスタイルが生まれる。

一般の人にはMCハマーが最初なのだろうが、男女で踊らないダンスの型は1980年後半に多く生れていて、米軍基地のクラブで良く踊られていたのです。

のちにMCハマーのプロモーションビデオを見た時、同じダンスの型を踊っていたので驚いた位です。
それは彼も沖縄の基地にいたことでわかります。
私も流行を感じていたので日本のレコード会社に日本版の発売を進めたのですが、ラップレコードは失敗するのが通説だったので、実現したのは数年後でした。

1990年にイベントや座間の基地でコンテストなど主催しましたが、日本では毎回同じように遅く流行し早く終わる。
原因は流行に乗ってお笑いや遊びに使われダンスの本質は伝わらないからです。

ブレイクダンスの時代もブレイクダンスとは言えない本が出版されたり、未熟な歌手がデビューする。
それが一般には本当のことのようになってしまったのです。

すべてはメディアの責任でしょう。


なぜ学校ではいけないの

○○○○○○○○イメージ

緩いのはダンスだけにしてね。

ブレイクダンスやニュージャックのダンスの出現がダンスを変えたと言えます。

初めてブレイクダンスを踊った人は通称ピーウィと言われている人です。
彼のダンスはラップをする人たちが好んで踊る緩いラッパーダンスのようです。
後にブレイキングやエレクトリックブギが流行して忘れられた存在になってしまいました。
ダンスは良し悪しは別にして目立つのが流行するのです。
しかし、ブレイキングもヒップホップのダンスと言えます。

何故なら体操選手なら簡単に出来そうなブレイキングです。
しかし美しさや正確性を追求する体操競技は身体の緊張から自由を奪います。
逆にヒップホップは身体を緩くしながら自由にダンスすることを追求します。
手足を綺麗に伸ばし正確にダンスする事は格好の悪い事でもあるのです。

それは服装や態度にも影響します。
あれだけヒップホップが浸透した米国で学校教育にしない所が多い理由でもあるのです。



第1話 第2話 第3話 第4話 第5話 
第6話 第7話 第8話

コメント1 コメント2 コメント3